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日常の周辺─つぶやき・写真

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逆引き Marginalreview─2010年3月3日から

 
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2012.01.29

22.32

自分の求める対象が意外(?)に歳相応だってことは自覚していて、それはまあ自分の感覚がフツーだってことなんだけど、それって安心することでもあるし、不甲斐ないことでもあるような気がする。

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21.16

ネットの世界を眺めていると様々な対立があることがわかる。そしてそのほとんどが和解も妥協もなく解消されることがない。それを見ながら我が身を振り返る。

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08.03

下記のテキストを5分割し連続ツイートしてみた。ツイッターの構造からするとひとつにまとまった文章を分割してアップすると話の前後が逆になる。これを限界や欠点とみるか、面白いとみるか……。モーリーさんの真似やねんけど。

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07.47

活字時代の文字と組版にどれだけ近づくことができるかがデジタルフォントの使命であると思っている文字の専門家たちもいて、そう考える人にとってはグラフィックデザイナーのルールにとらわれない文字の扱いは無知の証であって、だからグラフィックデザイナーはダメなんだ、ということになるらしい。私はそういった考えを揶揄して「組版原理主義」と呼んでいるが、古典的な文字及び組版の価値は認めるものの、文字表現は多様であっていいと思うし、逸脱や、飛躍は新しい表現には不可欠。時代が要求する文字世界というものもある。文字は言葉とその意味を伝えるだけのものでなくて、その言葉の背景や環境、時代性、あるいは欲望に働きかけ、誘惑を試みる。文字そのものが価値となる世界を創出する。ネット空間における文字は印刷物の固定された文字と違って不安定に揺れ、常に変化の只中にある。それを表現の可能性の広がりとして、文字及び文字組そのものの中に取り込んでゆくことが、今現在のグラフィックあるいはウェッブ、 SNSのデザインに要求されることであり、醍醐味なのだ。

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誘惑する文字。3

友人からモリサワの『光朝』の仮名が『かな民友』であることを知らされ驚いだ。『光朝』は故・田中一光氏がボドニーのような明朝体としてデザインしたという話はモリサワのアナウンスで知ってはいたが、その個性の強さから一度も使ったことがなかった。そんなわけでその仮名が『かな民友』であったことには全く気づかなかったのだ。モリサワのHPを見ても、手持ちのFont発表時のチラシを探してみてもそんな情報は一切なかった。
『基本日本語活字見本集成』を調べてみると、『かな民友』とほぼ同じ仮名には、フリーフォントの『もじくみ仮名』以外にも、『游築初号仮名』と『築地体初号仮名』と『解築初号かな』があった。これに『光朝』が加わる。どれも元をたどれば築地活版書体になるらしい。つまり民友社の仮名書体ということではなくて、築地書体の初号仮名という方が正しいのだろう。

Photo

上の3本が『かな民友』、つまり『築地初号』系。デジタルフォントの『光朝』ではカタカナの大きさのバランスが仮名に合わせて揃えられている。『もじくみ仮名』はウェートが1段階下のように見える。「し」が古いイメーシで独特。

下の2本はデジタルフォントの秀英初号だが、下の段は私が写植の両がなをイラストレーターでトレースしOpenTypeFont化したもの。文字の形はほぼ同じだが、写植は仮名の大きさに強弱があり、「か」「な」「あ」などは小ぶりだ。

一般に文字の大きさが揃っているほうが「読みやすい」と思われているようだが、活字は過去に遡るほど大きさが不揃いと云うか、文字の印象に強弱がある。文字の読みやすさについて再考する必要があるかもしれない。

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2012.01.28

06.35

休日だから早く目が覚めた、ってわけじゃない。だいたい土曜、日曜のほうが面倒くさくて嫌いだ。平日も休日もダラダラと仕事してるから、週末だからお休み、なんて感覚もなくなっている。

『時間は実在するか』ってやっぱり難しい話。ただ言葉が大きく関わっている問題だってのはなるほどと思えた。『時間は実在するか』が人にとって問題となるのはそこに生(老い)と死(死後の存在)の問題が含まれているからだと思う。

かつて愛し合った人と再び出会うことを想像する時、仮に死後の存在があるとすれば、楽しかった日々のイメージのまま出会うことを想像してしまうが、今の現実の、生きている世界で再会することは、それまでの時間の経過によって変化した生活や考え方や肉体の衰えを思うと、死後の再会よりも不安だというおかしな逆転(?)が起きる。生きていることはやっぱり時間に支配されている。

死と共に時間も消滅する、と考えることをひとは嫌う。それは死後の存在を否定することと同じことだからだが、アウグスティヌスはそこに神を持ってきて、時間のない世界こそがほんとうの世界、神の世界なんだとすることで時間の支配からひとの存在を救おうとしたのだろう。あいかわらず宗教に力があるのは、ひとが時間のない世界を信じたいからだ。永遠に存在できることを。

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00.23

NHKの大河ドラマの『平清盛』って原作はないらしいけど、前にも書いたように第一話の印象は溝口健二の『新・平家物語』にそっくりだった。そのそっくりな色合いやら風景やら衣装やらが気に入らないってどっかの県知事が的外れなコメントして話題になってたけど、あの「汚れ系リアリズム」って『スター・ウォーズ』あたりが始まりなんだろうと思う。ジョージ・ルーカスだったか、その汚れを黒澤明が感心してたって何かに書いてあった。
録画しておいた第三話を見てたら北面武士って言葉が登場して、あっ西行が出てくんだなって思って見てたら藤木直人が義清、のちの西行として登場してああやっぱり。建礼門院が廊下を歩いて、義清が歌を読む。これってまんま辻邦生の『西行花伝』のワンシーン。いずれ建礼門院と義清の不倫シーンが登場するんだろう。そしてゆくゆくは西行として出家する。
清盛の子、重衡に東大寺の焼き討ちなんかやってもらいたいし、その東大寺再建に尽くした坊さん、重源の勧進のストーリーなんかも欲しい。相当に怪しい坊さんだったみたいだし。
大阪フィールドワークを始める前は『平安オタク』(て、ほどでもないが……)やってたから、奈良、京都も大好きだ。ドラマん中で平安神宮や平等院がそのまんまん大極殿や平氏の住居シーンとして使われてたけど、よく許可とれたもんだと感心する。そういや、何年も前に東大寺に行った時、国立博物館で重源展なんてやってたな。思い出深い。

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2012.01.27

I Wanna Be Loved By You

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17.20

……過去・現在・未来という時間の区分は、私たちの使っていることばと深く結びついている。ことばからまったく切り離して、過去・現在・未来という時を捉えることなど不可能だろう。ことばの装置─時制(テンス)やアスペクトなど─をいっさい使わずに、過去や現在や未来を思考することなどできはしない。ことばはただ単に時を運ぶ入れ物なのではなく、時を作り上げる鋳型である。……【時間は実在するか/入不二基義・著】

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15.39

移動先での仕事用に使っているMacBookのバッテリーの持続時間が短くなってきたので、Appleから新しいのを取り寄せた15,000円也。このMacBook、2006年製だからかれこれ5年以上使っていたことになる。バッテリーの耐用年数はとっくに過ぎていたんだろう。速度も遅くなってるし最新のOS X 10.7には対応していないが、超シンプルなデザインの上、塗装じゃなくて素材そのものがつや消しブラックのボディーが、最新のノートパソコンよりカッコよくて今でも手放せない。アップルはときどきこういった他のメーカーでは絶対真似できないデザインの製品を生む。1989年製のSE/30もそう。今でも使える。
今から少し読書。昨日書いてた『時間は実在するか/入不二基義・著/講談社現代新書』を読む。

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06.26

深夜にいつもの一日分のアクセスあり。原因はモーリーさんがこのブログの「まとめ」をツイッターで紹介してくれたからだろう。本人にはこっそり(?)やってた「Morley Robertsonの連続ツイートのまとめ」をモーリーさん自身に発見されちゃって、驚くやら慌てるやら。ツイッターでちょこっとお詫びを入れたんだけど、まあ、喜んでもらえていたようでホッとした。

昨夜はfacebookの方も忙しくって、「いいね!」を連発してガード下学会のオフィシャルFBの立ち上げの機運を盛り上げてたんだけど、それが功を奏したのかどうか、やっとFBが立ち上がることになったよう。メデタシメデタシ。

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00.13

昨日に続いてMorley Robertsonの連続ツイートのまとめ。昨日の「脱原発批判」への批判も起こっているらしいが批判そのものが脆弱。批判している自分なんてものに酔ってるうちは批判足り得ない。やってれば……てなっちゃうな。Morley Robertsonは政治とアートをライブでクロスさせながらそれ自体をDJしてる。その「ワザ」がいい。「ゆらぎ」と「平均律」と「社会批評」のダブステップ!

……スター不在、匿名だが心ある「みんな」の力に依存した正義と命を求める運動。そこに決定的な脆さを感じている。原子力エリートや官僚、政治家への反感がピークに達しているにも関わらず、だ。脱原発を乗り物にしてきたプロの活動家たちは、そろそろ次に飛び移る場所を物色しているのではないだろうか。……Aya Pandaさんに何を見るのか?DMCチャンピオンシップの手技に、ロックダンスのB-girlzやB-boyzに何を見出すのか?初音ミクに、そしてピカチュウのサーキット・ベンドに。それは海外からの入金手段。Beatportに始まる、付加価値同士が出会い連携するエコシステム。……今一度「ゆらぎ」の価値を再認識し、日本文化や日本社会の美意識に内在する絶妙なバランス感覚と京楽主義を換金率の高いエキスポートにチューニング。そして国際社会の景品交換所に並んでいただきたいんです。……昨夜「Block.fm」のスタジオを訪ねた時に「ゆらぎ」に関するお話が出たので、この場でリレーいたします。もともとゆらぎは「Groove Japan」プロジェクトの主要テーマだったのですが、開始と同時にisベン・アリ体制とムバーラク体制がぐらついたので記事はそっちに向いてしまい。……まず簡単に「ゆらぎ」とは何かを解説すると、確定性(未来が誤差なく推測できる)を逸脱したふるまいといったニュアンスになります。数学では「非線形性」として表現されたりカオスとも言われますが、次にどうなるかがある程度の確立でしかわからず、断定はできない様子が、ゆらいでいるわけです。……で、このゆらぎは自然界の現象にさまざまな形で出現することが近年注目されるようになりました。とりわけ「1/f分布」という種類のゆらぎがあります。それは、発生する確立が「周波数の逆数」つまり「1÷周波数」でして、1Hzが起きる確立は100Hzの100倍という分布です。…むつかしいです……でもむつかしくないんです。音にすると、1/fの分布はピンクノイズで「ごぉーっ」という海鳴りの音で、胎児が見る夢の子守唄なんです。1/fではなく、そのまんま分布されているのは「しゃーっ」という砂嵐の音で、ホワイトノイズです。ノイズは周期性がありません。繰り返さないからノイズと呼ぶ。……で、等間隔のグリッドを周波数(音程)で作ったのが西洋音楽の平均律音階です。平均律は楽曲の転調や異なる楽器同士の合奏にとても便利です。ところが「民族音楽」と呼ばれる土俗の音階は、洋の東西を問わず「平均律」からはずれています。むしろ地域ごとに偏りがあり、個々にゆらぎをなしています。……日本が近代化する上で政府は「野蛮な」邦楽の淘汰を推し進め、日本人の耳を平均律(西洋人の耳)へとチューニングし直したそうです。この経緯は平松れい子さんの「ノート・トーン」という戯曲で詳細に描かれています。……西洋音階はすべての音階を飲み込む妥協の産物であると同時に、どの文化にも属さないグローバルな存在です。それが植民地主義の権力により、被支配の人々に「文明」として押し付けられました。象徴的に、日本人の耳が西洋音階のグリッドに調律・矯正されたことは「顔のない」存在になることでもあった。……で、話を1世紀ほど先に飛ばして高度経済成長期。帝国主義を試みて列強に敗戦した日本は、戦前から蓄積していた全体主義的なノウハウと資本主義を重ねあわせてミラクルを起こします。そこでひたすら猛烈に働いた父母は、一丸となって繁栄の交響曲を奏で、平均律な幸せを実現したのでした。……同時にその過程でグリッドの美しさに自分の魂を委ねて、個々の存在そのものが気迫になっていった。支持に従い、まじめにまっすぐ、潔癖にミスを回避しながらクオリティーコントロールを行い、喜んで残業した。ささやかだった。そして何も考えなくてもよくなった。システムが自分で自分を運転したから。……誰が首相になっても同じなので、指導者そのものがいなくてもいい自立運転の時代が訪れた。アメリカはこの金の卵を生む日本にプラザ合意でツケを引き受けてもらった。中曽根首相とレーガン大統領が握手を交わし、柑橘と牛肉が身近になった。女子大生ブームが到来し、ジュリアナで扇子が舞った。……その裏で清志郎さんはマスコミの表舞台からは干されていた。イカ天で漫画家が審査員としておもしろい論評をした。J-WAVEを聴けば、他で聞けない音楽があり、WAVEまでわざわざその曲を買いにいった。ものだった。新日鉄がぼくの番組スポンサーだった。中国は赤かった。……で、あれやこれがあって、いきなりストーーップ!ってことで、にわかに大人たちから燃え尽きが起こった。小泉旋風に迎合するタイミングで排他的な保守ブームも起こったけど、コップの中の空騒ぎ。その後には仕掛けなのか自然発生なのか韓流の嵐。平均律のグリッドもセーフティネットもずるっと瓦解。……で「窒息ニッポン」だとかうつ病大国になりかかった2010年末に、「おれだよ、おれ。ゆらぎだよ」ということで「Groove Japan」を立ち上げておりました。……ゆらぎは、平均律の呪縛から解放され、平均律と非平均律の感性の両方を使いこなして陰と陽の両刀遣いになる手段として定義しました。ファンクなグルーヴと言い換えてもいいです。体から学習することができるリズム体、しかも斜めに傾(かぶ)いたスタンスで、動的なバランスを探す姿勢です。……日本社会の「押入れ」へと追いやられたさまざまな感受性や遊び心を今一度表に出して自己肯定し、そこから国際的・普遍的な価値を見つけて発信しようという志です。日本社会のGrooveにもう一度スイッチを入れる。大人たちが出てこられなくなって固まっている袋小路から抜け出すブレイクビーツです……数学・科学で「ゆらぎ」はまだ仮説の扱いです。「よくわからないことの学問」である以上、決定論的に検証をする科学のプロセスそのものに対する挑戦をも含むものです。科学者からは安易に「ゆらぎ」を見出そうとする傾向を警戒する声も上がっています。ニセ科学の温床にもなりやすいリスクもあります。……したがって学術的な厳密さは保証できないまま、感性の面から「ゆらぎ」の回復と、ゆらぎの再発見を通じた日本社会の覚醒を「Groove Japan」は目論んでいました。特に当たり障りの無い知的な遊びとしてシリーズが完結しようとした矢先に大災害と原発事故が発生。……「ゆらぎ」という言葉は地震を連想させ、「変化の波」は津波を連想させるので、自粛ブームに流されつつ、少し小声になりました。その後はおめでたい「ゆらぎ談義」をしているバヤイではなくなり、あれだこれだということで今に至っています。ですがこの節目で「1/f」をあらためて打ち出したい。……既存の秩序、その秩序の堅牢性、永遠に変わらない日本の壁、変わらない・変われない・変わりたくない大人…みたいなグリッドに信ぴょう性を担保してきたのは安定と保証(いわば終身雇用)です。これが、ない。今後も、ない。火力に依存する以上は、イランで何かあったら直撃される。1972年状態。……そして若い人達は、大人の色眼鏡を通して見ると、ただ萎縮しているだけで、特に向上心も欲求も野心もない、生まれついてのベジタリアン集団と捉えられがち。でも、それは本当だろうか?グリッド=保証=幻想の再来を待ちわびて立ち往生し、燃え尽きつつある大人たちが見ていないかっこよさがあるのかも……期待しているから希望的観測に覆われてしまっているのかもしれない。電力は全基停止でも十分にまかなえるのかもしれない。そうじゃないかもしれない。でも、でも。新しいかっこよさがダブステップのシーンやダンサーたち、ラッパーたち、DJたちから噴出するたびに、次の流れを感じてしまっている。……Vinyl(アナログ・レコード盤)の溝を顕微鏡で拡大した写真の中にも1/f分布を見出してしまうのって、間違っているんだろうか?……そこにグルーヴが、あるんだよ。でも心を落ち着かせて耳を済ませないと聴こえないです。一回聞こえ始めると、そのうねり、その唸りは、その「ぼぉーっ」はどんどんと大きくなり、やがて「ヴォーッ・ボボボ(3連符)」というウォブル、ジャー・ウォブルへと増幅していく。渦の中には梵字が出現する。……そして歓喜の宇宙へ。宇宙のファンタジーへと。いくときはいっしょだよ、と。……

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2012.01.26

22.55

パブリックなネット空間としてのfacebookとプライベートなblogとの住み分けが始まった気がする(自分の中で)。ただblogがプライベートといってもパスワードで閉じているわけでもないから、秘密にしておきたいことはやっぱり書けない。せいぜい書き留める内容の大まかな傾向の違いくらい。それでもfacebookやtwitterは強制的に公開させられてしまうが(規制をかけていない限り)、blogは意識的に見ようとしないかぎり見られないという違いは大きい。steadyな相手とやり取りするのにfacebookのニュースフィルードやタイムラインは使えないだろう。細かな使い分けが必要だ。ネット空間はどんどん複雑化してきている。

おかしな言い方だが、blogに書き込むとホッとする。うちに帰ってきた感じ。自分のフィールドはやっぱりこっちだなと納得。そりゃあそうだ、もうここに3年近くも書いてるんだから。文体がリラックスするのが自分でわかる。

講談社現代新書の『時間は実在するか』が気になってる。明日、神田まで打ち合わせだからついでに買ってこよう。老いや愛は時間がすぎていくことと関係がないのだろうか……。

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16.21

facebookにガード下学会メンバーのフォローを一気に増やした。面倒臭くなる気もするが、若い人たちを焚きつけて何か新しい動きが生まれることを期待したい。

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10.07

朝のウォーキングから帰ってくるとけっこう汗ビッショリになるんで、着替えしてから1時間くらいはTシャツ1枚でいる。

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09.17

長い目で見ればすべての先進国は赤字に転落し失業者が増えるのは自然の流れだ。農産物も工業製品も同じ質なら低コスト、低価格で生産できる国へ移行するのが資本主義の常道というもの。そういった意味ではバブル崩壊の低迷こそ、日本が先進国であることの証だといえる。だが先進国のどれもがつぎのステップを描けないでいる。そこに最初に踏み出した国こそが超先進国となるのだろう。原発問題を含め、震災後の日本こそがそのチャンスを目の前にしている気がする。多くの犠牲を払ったんだ、変わんなきゃダメだろう。

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07.48

面白さを共有してもらいたいと思うのは自然な気持ちだが、自分が面白いからって他人にも面白いとは限らない。下手に薦めると敬遠されるのが落ち。面白いことはただ面白がっていればいい。いつかは一緒に面白がってくれる人もあらわれる。

大阪フィールドワークがそれだった。ひとりで勝手に盛り上がってたら、なんだか一緒に興味を持ってくれる人があらわれてパワーアップしていった。今年はガード下学会のツアーも予定されている(てか、私がツアーの企画書作んなきゃならない)。個人的な興味が加速して「おおやけ」になっちゃった。こうなったらアクセルおもいっきり踏み込む。

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00.16

妄想(幻想)なのか真実なのか見分けがつかなくなってしまう深層にまで精神を追い込まないと見えてこないものがある、というのは本当のことだろうと思う(そこへ至るまでの過程は徹底的に科学的、合理的客観性に基づいていなければならない)。もちろんそんなことしなくたって日々は生きれるし、それなりに幸せにもなれるが。

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2012.01.25

19.25

今日のモーリーさん、はじけちゃってる。でもよくわかる。そういう時ってあるね。あっちへ行っちゃってんだ本当に。ニューロンがものすごいスピートで点滅してんだろう。こういった時の言葉は前後の整合性なんてどうでもよくって、読む者がその中から確信を掴んだ言葉を拾えるかどうか。これは追っかけにゃならん。Morley Robertsonの前衛ツイートのまとめ。(※140字でまとまっている言葉を繋いでこういった文章を生む彼の才能には驚愕する。ツイッターのリテラシーをこれほど巧みに操っている人も少ない)

……昨夜、サージ・チェレプニンさんをINUとも引きあわせてインタビューを行いました。20世紀前半に活躍したアメリカの作曲家、ヘンリー・カウエルについてのお話がすごすぎて、Wikpediaを読んで声をあげたぼくでした。日本語版はほとんど希薄です……「神智学=Theosophy」という神秘的な新興宗教にまず関わってコミューンに出入り。どんどんと前衛的なブレークスルーを行い、テルミン本人にリズム・マシーンを設計させる。ピアノを実験的に演奏するスタイルも確立、後年のジョン・ケージが演奏した作品はこの影響が大。……日本・中国・インドの音楽やガムランをも取り入れる。1928年に作曲した作品はウィーンでヴェーベルンが指揮。トーン・クラスターを始める。即興やランダムさも源流。ショーンベルクやチャールズ・アイヴスもプロモート。バート・バカラックとジョン・ケージもその弟子。なんなの?……1936年から1942年まで同性愛の罪で投獄。獄中で60以上の作品を生み出す。戦時に突入したアメリカで恩赦が実現、海外向けのラジオ番組を編成する政府の仕事に動員される。しかし戦後は強迫観念を持って芸術、政治の両面で波風を立てなくなる。晩年は華々しく返り咲き。1965年没。……このようにヘンリー・カウエルが「うぉーっ」とアメリカで暴れている時期にアレクサンダー・チェレプニンは日本に来て、伊福部昭らを教える。伊福部昭はギリヤーク人やアイヌ民族ほか北海道〜樺太に暮らす少数民族の音階を導入し、その作品が日本側では「国辱」とされ、チェレプニンは絶賛。……伊福部は戦時中、兄と共に政府に動員されて放射線の研究に従事。兄は被曝して死亡。戦後、映画「ゴジラ」のサウンドトラックなどを契機に巨匠へと大ブレイク。すんごいわ。……今バート・バカラックのWikipedia(英語)エントリーを見たのですが、やはり前衛の影響が強く出た形でメガヒットを飛ばし続けたみたいです。ヘンリー・カウエルから行くと、そうとしか読めない。なんなの?ポップ・ミュージックって?ちょっと前提を一度取っ払い、初心者として考えたいっす。……1910年代の前衛→国際的ないろいろ→ものすごい七変化→ダブステップ→今、そしてこれから。ダブステップを支持している欧米のティーンネイジャーなどは、そこに引き継がれているさまざまな前衛やモジュレーションを直接には意識せず、体で感じていると思われる。アフリカ系リズム体の流れも。……1920年代の欧米(そして日本)で芸術家の間に広まった急進的な変革への渇望は「前衛」と呼ばれる実験的な傾向の底流にあったと思います(見てないけど)。マルクス主義やソビエト革命がもちろんそこには大いなる推進力でしたが、これに対するそれぞれの社会の反動もハンパじゃなかった。赤狩りも。……その次代の急進的な芸術には大金持ちのパトロンが付くことも頻繁で、前衛的な作品を生み出すアーチストが貴族(つまりアンシャン・レジーム)出身であることもしばしば。単純に階級闘争や中産階級の勃興によるマス社会の到来、という図式で理解することはできません。皮肉ですが、上からの前衛が中心。……これは音楽や人文芸術へのリテラシーが前提とされ、ハードルがあまりにも高かったことにも関係していたと思います。そんな中で北海道の伊福部さんが、すごい。そして伊福部さんは日本の急激な近代化フェティシズムの流れを無視してアイヌ、ギリヤークの「サンプル」を盛りこんでいたわけで。……ディープ・フォレストだし、全然違う日本の未来へのヴィジョンだし、もうね。その後いろいろと時代をすっ飛ばして、著作権がどうのだとかドラムン、ダブステップ、IT革命やツィッターを経て、今、社会の変革を叫ぶムーブメントがどういう風に浮かんでは消えるのかを見比べると、示唆に飛んでおります……「アラブの春」そして日本の「脱原発」ね。変革へのツールはどんどんと民主化している。しかしアクセスがお気楽な分、覚悟も薄い。匿名ですっきりするまでイデオロギーを叫べる。同性愛で投獄されることもない今。「脱原発・大麻解放」で、所持していたら逮捕される。「別件逮捕だ!」と言うのか。……主観満載で書いているので、アゴラの記事にするほど論拠はないんだけど、バート・バカラックのキャリアに感動したその音楽家的な反動で、言いたい放題を言っています。アーチストたちが脱原発を叫ぶときにも、こうしたピュアな「おれには見えるんだ」状態が訪れ、トランスに入っているのだと思う。……無理な選択を社会に迫る。しかもリーダーとなる魅力的な「貴族」が脱原発には、いない。いるのは庶民的・テレビ的に共感しやすい「広報係」の人々。デモにも覚悟無しで行ける。だから大多数の人は、現実世界では行かない。ムーブメントに「身を投じる」だけの強い求心力がないのだ。……ビデオリサーチの視聴率モニター程度の意見を言えば済む。しかも匿名で。現実世界の中で知り合いや同僚に脱原発を広めて「引かれた」場合、そこをさらにプッシュしてでも議論をする、という「ならわし」は日本社会にない。そのディベートの下地がないこと自体が日本式の経済成長をも支えたという皮肉。……一般のたちが決して追いつくことができない教養と才能にめぐまれた変革の提唱者たちが1920年代にいた。彼らをそれぞれの政府は徹底弾圧した。求心力を恐れてのことだった。反対に今、求心力の無さとお気軽さをトレードオフした形で、にわか仕込みの「脱原発」が「拡散してください」されている。……なぜ、この新たな「にわか脱原発」が自壊すると推理するのか。それは、文化・政治のエリート運動による変革ではなく、庶民が「お金よりも命」を選ぶことに期待した運動だからだ。正義ではない、とは誰も反論できない。えてしてこういった「正義の膠着」が起きたときには権力を持つ側が勝つ。……また、長期戦に持ち込まれた際には、「今動かないと未来があぶない」という気分が「あまり変わっていないから、このままでいい」という気分へと流れる。また、魅力的な指導者の不在は「脱原発」の裾野をどんどんと広げるが、同時に薄める。……薄まった士気に危機感を感じて日本そのものを呪う声が上がると、一気に熱は冷める。「大変だ!」という心理状態にない大衆に「革命の必要性」を説くのはとても難しい。よど号ハイジャック事件や浅間山荘の立てこもりがいかに冷たく見られたかが、その事例。……また、庶民感情に立脚している以上、その庶民感情の不透明な動きに運動は左右される宿命にある。決定的なのは、「普通の人」であればあるほど「自分と同程度の能力かそれ以下のパッとしない奴が正義を振りかざして威張っている」ということに強い嫌悪を覚えることだ。……スター不在、匿名だが心ある「みんな」の力に依存した正義と命を求める運動。そこに決定的な脆さを感じている。原子力エリートや官僚、政治家への反感がピークに達しているにも関わらず、だ。脱原発を乗り物にしてきたプロの活動家たちは、そろそろ次に飛び移る場所を物色しているのではないだろうか。……すごく矛盾した言い方だけど、急激な変化を求める運動が成功するために必要な要素は(1)カリズマ。しかも貴族か教養と才能のある上流出身者(2)体制や警察によるリーダー・学生への暴力的で過剰な弾圧(3)現体制を揺さぶることで利を得る海外からの支援(4)マスコミのすぐにばれる露骨な嘘など……つまり、大衆の怒りがひたすら蓄積され、同時に新たなカリズマへの人望が強くなっている必要がある。美貌と才能に恵まれたアウンサンスーチーのような人が脱原発を唱え、しかも暴力によって犠牲となり、その後に 美男子の二番手カリズマ登場、とかだとすんなり時代を変える動きが臨界値を越えるだろう……宗教観にも通じることかもしれない。リーダーは素晴らしく、自分が憧れる人で、その人が大義のために犠牲になった。その犠牲を通じて変化の可能性、つまり希望が訪れた。その希望を享受した自分もまた犠牲を払ってこの世界をより良いところにする。こういう普遍的なやりとりが感激と熱狂を持続させる。……以上の主観をまじえた考察から、現在の「脱原発」の勢いは間もなく失速する可能性が大、と見ている。「40年後ならば脱原発は自然の流れでしょう」と妙に納得する人が、ディスカッション無しで定着する可能性も大。そしてまた事故前のような状況へと、なんとなく。「しかたないか」とため息まじりで。……反対に、小中学生たちは今回、大人同士で交わされたアジテーションで覚醒している。今回の災害と事故で原子力依存の社会、ひいてはエネルギーを無駄に大量消費する「生産と消費のサイクル」から脱却しなくてはならない、と心に刻んだ子供や若者は多い。人類全体の持続性を視野に入れた変化への種植え。……自然エネルギー、格差を激しく生み出さない経済理論、一国に引きこもらず世界の問題を積極的に日本から解決しようとするパラダイム、自分の身の回りや生活習慣から社会全体へと影響を及ぼそうというヴィジョン、そして何よりも「変われる。変えられるのだ」という希望が今から根づき始めるだろう。……「おまえがちゃんとやらないから、こうなった。こっちは被害者なんだ。お前が変われ。元通りに戻せ。反省し謝罪と賠償をしろ」という感情主体・浅い考え・拡散は瞬間的というセットから、「あなたが変われないのなら、私が先に変わります。納得したらご一緒にどうぞ」というセットへと徐々に進化。……ということで、このラウンドの「脱原発」は多分目標を達成できない。だけど、今後の、しがらみや既成概念やぐずついた現状維持に埋没しないジェネレーションに火をつける役割を果たしており、変化は次世代までに着実に訪れるだろう。というのが、ぼくの予測。種は植えられている。……

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16.00

モーリー・ロバートソンさんのアンビエントな連続ツイートのまとめ。こんな「あっち行ってる感」もたまにはいいかも……。ついで彼のアンビエントDJがアップされているustreamも貼り込みました。

……月齢表で確認しましたが一昨日が新月だったそうです。昨日までの2日間にだるさや不調、なんか「上がらない」という訴えをしていた人も数々。新月が過ぎ、占星術・ニューエイジ的には新しい次の流れがやってきます。これにスムーズに乗れると、いい感じ。……その「流れ」とは何か?をぼくなりに第6感で解説してみます。運気は急激に変わることは滅多になく、徐々にひとつのテーマからもうひとつのテーマにフェーダーが変わっていく、アンビエントDJのようなものです。月の運行はそれを感じ取るひとつの有力な手段。女性の方が男性より優れているとの説も。……意識が閉ざされていたり、先入観のバリケードに閉じこもっている人は、短期的には自分を押し通すことで防衛ができるのですが、月の運行をはじめとした外部の影響をとても受けやすい。また、広告や流行、扇動にもすごく乗せられやすい。「流れ」と向き合わなければ、その流れの虜になってしまうからです……こんなこと、言ってもいいのでしょうか?いいんです!それがぼくの本音だから。今、オフィスでにゃんこと気を通じ合わせて先日の雪が降る中のミックスをBGMにしています。「おれBGM」です。新しい月のサイクルは、いつでもチャンス。……アンビエントなマナーと仕草でひとつの流れのテーマから次に乗り移るときには、無理に力を込めてはいけない。とにかく耳を済ませることが大事です。そこからメッセージを聞き取ることができたら、声の方向に素直に従って進んでみる。そうするとその先に扉が開く、といった感じ。……自分が運勢を支配しようと思うと、必ず転ぶ。謙虚に、流れに身を委ねてそれがどこに行こうとしているのかをいち早く知る。これが術です。それぞれの運気の流れにはスウィート・スポットがあり、その「へそ」のようなところでいろいろな共鳴が起きています。ここのエネルギーを利用すると加速できる。……でもエネルギーが高ければ高いほど、自分のバランスを崩しやすくもある。だから、自分がハンドリングできるものの限界量をきちんと把握して、深追いしない。だけど貪欲ではあり続ける。この妙味を体得するのが、フローの秘訣。委ねて与えて、そして取るものを取る。……そして新月の領域にまだ入っている今ぐらいが、朔を通過したダークネスの重力が弱まり、同時に新しい流れが起こり始めているタイミング。今期の月齢サイクルは今がスウィートスポット、と感じる。ここでいい流れを心のなかに見つけてそれを世界へと徐々に広げるといい。花弁が開くぐらいの速度感で。……物質界や現実の世界も大事だけど、精神世界のエコロジーも大切。音楽を通じてそこにつながることもできるし、絵や瞑想もそれぞれの手段です。自分の奥にある快楽、そこに通じる脈を感じ取ったら近づいてくるので、ひょいと綱のように手に持つ感じです。継続可能なみずがめ座の時代へと進みましょう。……

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10.10

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今朝の井の頭池。昨夜は薬飲んで寝たんで、今日の目覚めはまずまず。雪も溶けたんでウォーキング再開。ファンキ、ファンキー!(US3のCantaloop風に)
書いておかなきゃならないと思ったことは書いておかないと、いつまでも頭ん中をグルグル回り続けて不眠の原因になる。文字についての考察はタイポグラフィーという美学についてではなくて、言葉とは違う認識と意味との関係を問題にしている。美しさや格好良さの根底にはそれがある。

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誘惑する文字。2

写植文字の可能性を徹底的に追求したのが杉浦康平氏。杉浦氏は「文字に何が可能なのか」をほとんどやり尽くしてしまったと言っても大げさではない気がする。杉浦氏を筆頭に、その後に続くエディトリアルデザインの精鋭たち(戸田ツトム、羽良多平吉、鈴木一誌、松田行正……)によって70年代から90年代初頭にかけて生み出された、実験的で斬新な文字組の数々が、実際の書籍や雑誌となって巷にあふれるようになり、文字組そのものがデザインの領域であることが理解されるようになっていった。同時に活字ではありえなかった「読みにくい文字組」というものも増えていったのだ。だがその読みにくさとは活字が育んだ「読みやすさ」を否定するものではなくて、新しい「読みやすさ」を求めた結果と言い換えることもできそうだ。あるいは「読む」ことの多様な意味、重層的な意味が意識され、表現されるようになったということなのかもしれない。読むことに劣らず「見る文字」の重要性が意識されるようになったのだ。

文字組もまたヴィジュアル表現のひとつであるということは、活字の時代にはほとんど意識されることはなかったが(北園克衛による実験的な活字組版もあったが詩集などの特殊な領域に限られていた)、美術の世界では19世紀後半から文字をヴィジュアルなものとして扱っていたのはよく知られているところだろう。『ダダ』から『構成主義』へ、そして『バウハウス』へと向かう系譜は、文字が単に書かれた意味を伝えるものではないことを示している。

活字が写植に替わっていったのはオフセット印刷との親和性、そして作業効率やコストなどが大きな要因だったのだが(というか、オフセット印刷が一般化されたことで一気に印刷物の大量制作とカラー化が容易になった。消費社会に合わせた印刷の始まりでもあった)、デザイナーにとってはそれ以上に文字がヴィジュアルなエレメントとして自由に扱えるようになったことの喜びのほうが遥かに大きかったはずだ。今現在、デジタルフォントが見せているさまざまなエフェクト処理の多くも、写植の時代にすでに試みられていた。【続く】

Photo

こういったエフェクトはデジタルフォントでは簡単なことだが、私は写植でもやっていた。写植機の電圧を上げることで、文字を撮影する(写植では「打つ」と言う)際の光量を一行ごとに増やし、現像時にも液温を調節し現像時間を伸ばすことで、これに近いことができた。いずれにしても鉛の活字では不可能なことだった。

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