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日常の周辺─つぶやき・写真

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2012.05.19

16.11

またまた「ことえり」を「Google日本語入力」に変更。何度目だろう。操作性で「ことえり」に戻してたけど、あまりの変換能力のダメさ加減に我慢できなくなってしまった。ちゃんとしたIMを買うべきなのかなぁ……。

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15.14

FaceBookを一時離脱しているので(やめたわけじゃない。メッセージのやり取りはある)、あちこちからどうしたのかと聞かれるんだが、たとえば日常のコミュニケーションにおいて、子どもの学校繋がりの人と、近所の友人と、仕事の取引先の人が、同じひとつの場所でひとつの話題を共有するなんてことはありえない。それを人間関係の広がりと思う人もいるのかもしれないが、私にはそうは思えない。それぞれの繋がり方にはそれそれの関係によって築いた会話の仕方、会話の内容の違いというものがある。そういったことが無視される、あるいは成立しないようなコミュニケーションが私には有意義なものとは思えない。

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06.35

気になるのはついて行く人たちのこと。煽動するヒーローや怪しげなカリスマはいつの時代にも現れる。世界を単純化して描いてみせ、問題の解決を明確に解説し、わかりやすく理想を語る。私はそういったわかりやすさを疑ってかかる人だし、そもそも集団とか組織には馴染めない性格だから、そういう人に対しては鼻っから背を向けてしまうのだが、世の中にはそうでない人も多い。

オウムの地下鉄サリン事件で引っかかっているのは教祖・松本智津夫がどういう人間であったとか、教団が何故暴走したのかということよりも、その言動に惹かれ、ついていこうと思った人たちのこと。何故「真面目な人が狂う」のかということ。逆に言うと私のような不真面目でいい加減なヤツは狂わない、そんな気がするのだ(勝手にそう思い込んでいる可能性もあるが)。

事件の実行犯たちのほとんどは、賢く真面目で心優しい人たちであったようだ。それが狂った。いや脳は正常なのだから狂ったわけではないだろう。正常な判断ができなくなったということか(正常異常の判断についてはひとまずおくとして)。あるいは自分が判断することを放棄したのかもしれない。
宗教学者の太田俊寛さんはそれを「全体主義」によるものと判断されている。自我を放棄し(それが教義でもある)、集団と同化することで心の安定を得る(孤独から救われる)。そういうことのようだ。なるほどと思うが、そのわかりやすさも気になる。(ざっくりとまとめてしまうと、煽動者はロマン主義的原理主義で人心を惹きつけ全体主義で自分の理想を実現しようとする、ということ)

子どもたちの将来を案じ反原発運動を支持する人も、日本経済の行く末を案じ原発稼働を支持する人も、どちらも幸せな未来を望んでいることに違いはなく、私にはどちらも悪い人たちには思えない。但し、そこには理想の描き方、実現のさせ方に大きな違いがある。

論理的、科学的根拠というものが人を生かす絶対的根拠にはならない、というのは当たり前のよう思うが、その延長線上にオウムの地下鉄サリン事件の土壌があるように思う一方、芸術や文学、そして愛を育む土壌として、感覚的な認識、感情的な判断というのはなくてはならないものだとも思う。論理的ではないものを切り捨てる、というわけにはいかない。

煮え切らず、飲み込めないもの喉に詰まらせながら、それでもなんとか飲み込もうとしている。

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2012.05.18

16.58

例年のように昨年の夏もクルマで帰省したが、途中、名神高速から中国自動車道に入る吹田ジャンクションから神戸の西宮塩名サービスエリアまでの数キロに2時間以上を費やした。東北での救援から帰ってきた自衛隊や警察車両も身動きが取れなくなっていた。あの日から16年前の夏も同じ場所で3、4時間を費やしたのを思い出していた。東日本大震災と阪神淡路大震災、どちらもその災害から半年以上も経過していたが、道路はまだ混乱のただ中だった。

阪神淡路大震災は1995年の1月17日。寒い朝に何気なくスイッチを入れたテレビ映像の衝撃は今も忘れられない。それから2か月後の3月20日にオウムによる地下鉄サリン事件が勃発する。東日本大震災は2011年の3月11日。それから3日後の3月14日に福島第一原子力発電所3号機が水蒸気爆発した。東日本大震災の死者行方不明者は5月現在で18,879人。阪神淡路大震災の死者行方不明者は6,437人。地下鉄サリン事件の死者13人、負傷者約6,300人。福島原発事故による死者は今のところいない(事故以外の原因で亡くなった作業員はいた)。事故による放射線被爆の被害者が今後出るかどうかはわからないが、事故による精神的被害や精神的後遺症を抱えている人は、数万人、あるいは数十万人はいるかもしれない。

それぞれの災害、事故、事件に直接的な繋がりは何もないが、これらの出来事に対する日本人の反応に何か通底している心情のようなものがあるような気がしている。それが何なのかはまだわからないが、以前(昨年の4月20日)このブログに引用した鴨長明の方丈記にある『元暦の大地震』の記述にも同じような印象を持った。元暦の大地震は1185年7月9日。時代は平安末期。壇ノ浦の戦いで平家が滅亡した年であり、その3年ほど前には『養和の大飢饉』で大量の餓死者が出ていた、末法の世だった。

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09.49

何人もの友人がグラフィックデザインの仕事から離脱していった。理由は簡単、仕事が無いからだ。子どもが独立してしまっている人もいれば、子育て中の人もいる。独り身の人も。違う業種に転職した人もいれば、いまだ職につけない人もいるし、からだを壊し家族に養ってもらっている人もいる。こんなことはほかの業種にだって普通にあることだろうし珍しくもないのだろうが、その一人一人の人生にとっては大変な重い状況であることには違いなく、大げさでなく命にさえ関わる事態だ。もちろん何かを切っ掛けに事態が好転する可能性が無いわけじゃないし、もっと悪くなる可能性もあり続ける。私に何かできることがあるわけでもないが(人ごとではないし)、少なくともここを起点にしつつでしか世界を見ることはできない、私の場合は。

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2012.05.17

19.58

今日のクロ現、つい数ヶ月前に直面した問題だったからいろいろ考えさせられた。答えはみつからないが、自分のことで言えば延命はしなくていい。胃ろうなんてまっぴらご免。と言っても死んじまえばこのブログも消えちまうんだろうが。

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11.10

経済格差(てことは、教育格差でもあるし情報格差でもある)が人の想像力を左右するってことは残念だけどあると思う。経済的余裕のあるヤツは思考対象にも幅が持てるし、余裕のない人は思考対象の幅が狭くなりがち(但し狭くなることで思考が先鋭化、深化するってことはある、良い意味でも悪い意味でも)。生活の不安があるかないかの心の余裕ってことでもある。心に余裕がないと扇情的な言葉(信仰、カルト、超能力、幻想、詐欺……)にも取り込まれやすくなる。ネットしか繋がりを持てない人もそういったところがある。もちろん例外もあるが。

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09.35

私だって門外漢だから偉そうなことは言えないけれど、今の日本はあまりに「国家経済」にたいして無頓着というか、楽観的なんじゃないの。原発停止しても電力足りない分節電すればいい、それで安全で幸せな日本になる、なんて暢気なことを本気で信じている人が多いみたいだけど、電気が足りないことで抑制される企業活動が、それでなくてもマイナス成長(一時的な揺り戻しはあったりするけど)続けている日本経済をより深刻な経済危機へと加速させるんじゃないのかな。国内じゃやってけないから海外へ工場を移転するって話も多くなってるし、当然失業率も高まってゆく。世界を見ればヨーロッパ経済はまさに危機的状況で、ギリシャがユーロを脱退すれば、それがどんな連鎖反応を起こすか想像もつかない。経済が破綻するってことは、単にお金がなくて生活が苦しくなるってことじゃなくて、政治的情勢不安が大きくなって暴力や戦争が起きる可能性が高まるってことでもあるんだ。命が大事なら尚更のことでしょう。生活保護世帯も急増しているし、年間3万人も自殺する(想像してみて欲しい、3.11の津波で亡くなった人は約2万人。それの1.5倍の人が毎年自殺している)国って異常にもほどがある。カルトの終末思想のような原発不安に踊らされるんじゃなくて(活断層が直下にある原発は止めたほうがいいと思うけど)、確実な長期計画を立てて国民の生活を守りつつ国家経済を破綻させないような脱原発を目指すべき。経済活動の安定は原発が無くなることよりも大事な安全保障だということにもっと気づいて欲しい。

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2012.05.16

14.50

暑い。(^~^;)ゞ

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06.15

誤解を恐れずに言えば、反原発とオウム事件はともに近代という同じ根っ子から生まれた兄弟のようなもの。理想世界を実現させようとするロマン主義的発想の根っ子は同じなのだ。そう考えれば、なぜ知性ある著名なアーティストや文学者が、科学的根拠を無視して反原発を盲目的に支持するのかがよくわかる。もちろん私自身も原発のない世界を支持するが、けれど人類が築き上げてきた「知」としての原子力そのものを悪として否定する気にはなれないし(もはや古くさい、とは思うが)、経済を混乱させず、中小企業に無理な労働をしいらず、電力不足が危険をもたらす医療や介護施設のことを思えば、長期計画を立てて徐々に原発を減らしていくということのほうが道理のはずだ。性急に人類が生んだ悪を排除する、幸せな理想世界を築く、というのは狂気と紙一重だろう。

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2012.05.15

23.58

……広島の原爆被害者から詳細な聞き取りを行った経験を持つ精神医学者のロバート・J・リフトンは、そのオウム論において、キリスト教に由来する終末論が日本において過剰なリアリティを獲得した背景には、日本人の心理に深く刻印された敗戦体験や被爆体験が存在すること指摘している……【オウム真理教の精神史/太田俊寛】

終末論のところを放射線被爆と置き換えてみると、福島をフクシマなどと呼ぶ人たちの心情とオーバーラップする。放射線被爆について科学的な理解を拒む(学者は嘘をついていると信じる)人が多いのも、この辺りに原因の一端があるような気もする。核(原子力)や放射能は科学的に理解できる実体というよりも、終末論の予言(人類を滅ぼす悪意、あるいは罪)のようなものとして受け取られているのだろう。

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20.20

太田俊寛さんの『オウム真理教の精神史/春秋社』を読んでいるところだけど、オウムが生まれた背景としての「近代」の誕生の話が刺激的だ。キリスト教をバックボーンとして成立した近代ヨーロッパ国家の成り立ちが、そっくりそのまま天皇制と武士政権の成立と恐ろしいほ重なって見える。オウムというカルトの生まれた背景としての近代というシステムは、じつは日本が「天皇制と幕府」というシステムによって相当に早い時期から取り入れていたことがわかる。全体の感想は読み終えてからもう一度書く。

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13.08

中沢新一さんのロマンチックな思考(アースダイバーで見られるような)は魅力的なんだけど、宗教学者として関わった「オウム事件」に対する逃げ腰は非難されて当然だとも思う。いまや宗教学者ではなく文化人類学者という肩書きらしいが、肩書きを変えたところで宗教学者・中沢新一として関わったことを消すことはできない。ご自分でもう少し本格的な総括をやるべきじゃないのか。間違ったことを総括し反省するのは学者としての汚点にはならないと思うのだが。

以前、島田裕巳さんの「中沢新一批判」は読んだが、島田さんの場合、どうも個人的な関係からの私情が絡んで論理的な批判ができていなかった。それに比べると大田俊寛さんの中沢批判はずいぶんとメリハリが利いて腑に落ちる。シノドスでその太田さんが最近出された著書『オウム真理教の精神史―ロマン主義・全体主義・原理主義』についての解説をされているので一部を引用する。

……私はグノーシス主義について研究する一方で、必然的にキリスト教神学の領域にも踏み込むようになり、さらにそこから、そもそも宗教とは何か、ある種の信仰によって社会が統治されるとはどういうことかという事柄を、自分なりの仕方で学んだように思います。その過程では、エルンスト・カントーロヴィチやピエール・ルジャンドルといった法制史家から多くの刺激を受けました。こうした論者によれば、近代のシステムは実は、キリスト教のドグマの世界にその立脚点を持っています。近代は表面的には、政教分離というかたちでキリスト教信仰と袂を分かったのですが、近代の最も根幹にあるもの──たとえば、主権という理念、ローマ法に由来する法治の技法、投票による意志決定の仕組み等々──は、キリスト教のドグマに基礎を持っているわけです。

なにか特別な概念や幻惑的な思想を持ちだして、アクロバティックな仕方で現象を説明するのではなく、私はむしろ、今も我々がその下で生きている近代のシステムがどのような経緯によって成立してきたのかということを、かなり愚直に勉強してきた方だと思います。カントーロヴィチやルジャンドルの他にも、日本の研究者で言えば、南原繁、丸山眞男、福田歓一といった政治学者から多くのことを教えられました。こうした人々は、西洋思想史の通史となる書物を著しており、それらは近代成立の過程を知る上で大変参考になります。現代日本の新宗教や、オウムのようなカルトの問題を扱う際にも、近代の長所や弱点がどのようなところにあるのかという基本的な事柄を押さえていなければ、有効な分析は行えないだろうと思うのです。……【シノドス/オウム真理教とアカデミズム 大田俊寛 http://synodos.livedoor.biz/archives/1929261.html】

こういった視点は実は宗教問題だけでなく、今日の反原発、放射能不安による風評、混乱にも必要なことだと思う。太田さんはツイッター上でも中沢批判をされていて、それをお弟子筋にあたる佐藤剛裕さんから「私怨」だと攻撃された。それについてのツイッターのまとめもなかなか面白い。

【古本屋の殴り書き/大田俊寛の中沢新一批判を「私怨」と決めつけた佐藤剛裕の言いわけ http://sessendo.blogspot.jp/2011/10/blog-post_5993.html】

佐藤剛裕さんには以前私をフォローしていただいていて(今はどうだかしらないが)、個人的には好意を持っているんだが、このツイッターのまとめではどうも分が悪い印象。どんなジャンルもそうだが宗教学者もその立場の違いで、埋められない溝というものがあるらしい。

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08.12

十年前も今も考えていること、興味のあることにほとんど変化がない。進歩がないと言えばその通り。でも進歩したいとも思わないし、長い時間をかけてひとつのことを考えていると、表面的な興味のように思えていたことの背景に、さまざまな理由や根拠が見えてきて面白い。

結婚が愛の証であると思われるようになったのは近代になってからで、それ以前の結婚は家や一族を守ること(生殖による種族保存)であったのは世界共通のことらしい。同性婚が問題として浮上したのは結婚を愛の証と思うようなった(種族保存が目的ではなくなった)からで、であれば同性婚も近親婚も当然の要求になる。だが愛を制度に従わせようとすれば結果的に愛の本来的なエネルギーを削いでいくことになる、ということはあまり問題にされていない。

愛というのは個の欲望のひとつの現れであるから、社会制度を前提とした愛というものはない。愛は常に反社会的なものだ(キリストの愛だってそうだろう)。国の経済が破綻したって子どもを守るために原発を止める、海外移住するというのは、そういった意味では愛の証といっていい。愛は善悪の向こう側にある。人の歴史は「個(愛と生死)の欲望」と「社会(富や権力)の欲望」との、葛藤と妥協の歴史。

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頼朝が井の頭弁財天に立ち寄ったのは平氏との戦いの真っ最中であったらしいが、戦勝祈願でもしたんだろうか。その頼朝の父・義朝は自分の父と弟を殺しているが、頼朝自身も異母弟の義経を殺している(逃げ切れなくて自刃した)。肉親への愛など強大な権力への欲望の前には取るに足らないものになるのか。

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2012.05.14

16.45

日本の歴史における政権存続の時間の長さを比べてみる(厳密ではないがだいたいこんなものだと思う)。

◉ヤマト王権(特定の誰かということではなくて、大和地方に権力者が集中していったという意味において)が生まれた古墳時代が3世紀頃で、律令制によって日本の権力が天皇に集中したのが8世紀初頭ということだから、3世紀以降のざっと500年間が日本の国家権力揺籃期であったと考えられるだろう(天皇の宮殿、飛鳥宮が平城宮へ移行する一時期に建てられた、大阪発祥の元となった難波宮は645年。ここで大化の改新が行われた)。
◉その後、奈良に本格的な都、平城京が710年に誕生し、784年に長岡京に遷都されるまでの74年間が奈良時代になる。
◉長岡京は784年から794年の京都への遷都までの10年間ほど。
◉そして都が京都に移されて平安京が生まれた平安時代は、794年から1185年の391年間に及ぶ。
◉その平安時代の末期に平氏がその実力を見せた保元の乱が1156年で、その平氏が海の藻くずとして消えた壇ノ浦の合戦が1185年。つまり平氏が活躍したのは30年ほどだ。実質的に時の権力に影響を及ぼしたのは十数年といったところだろう。
◉その後誕生した本格的武士政権、鎌倉幕府は源頼朝が政権奪取した1185年(最近はイイクニツクロウ、ではないらしい)から元弘の乱までの1333年の148年間。
◉つづいて足利尊氏によって政権交代した室町幕府は元弘の乱収束後の1336年から、織田信長によって足利義昭が将軍職を追放された1573年までの240年間。
◉いわゆる戦国時代の時間の長さには諸説あるようだが、室町幕府の政権闘争に始まる応仁の乱の1467年から豊臣秀吉が全国統一した1590年までとすれば、約120年間が戦国時代であったといえるのだろう。
◉戦国時代が終わりを告げ徳川家康によって樹立した3度目の武士政権、徳川幕府は家康が征夷大将軍になった1603年から大政奉還によって将軍職を返上した1868年までの265年間。
◉幕府終焉後の明治政府は1868年から明治天皇が崩御した1912年までの42年間。
◉私の生まれた昭和は1926年から1989年までの63年間。
◉平成の世は知っての通り。

ずいぶんと大雑把だが、この時間(時代)区分でざっくりと日本の成り立ちがイメージできると思う。その中でも目を引くのが平安時代の391年間という長さだ。もちろん、その内訳はさまざまな政権闘争が跋扈して単純なものではなかっただろうが、この時代が唯一天皇の絶対権力が保証されていた時代と考えていいだろう。この400年近い時間=時代が日本の今の姿とかたちを決定づけ熟成させたと私は思っている。平清盛が活躍したのはその平安時代の終わりであり、言い換えれば清盛が平安時代を終わらせたとも言える。
その平安時代の「薬子(くすこ)の変」(810年、平城上皇と嵯峨天皇の権力闘争)から「保元の乱」(1156年、後白河天皇と崇徳上皇の権力闘争)までの346年間、権力闘争に武力が使われることもなく死刑もなかったというのは驚きだ。だがそのあたりのことはあまり広くは知られていない(上流階級だけの話かもしれないが、薬子の変の嵯峨天皇が死刑廃止の宣旨を出した。奈良時代の聖武天皇も「死刑廃止の詔」を出しているらしい)。

死刑(敵将の首を切り落とす)が復活したのは、武士の力=武力に頼って権力を掌握するという権力システムの変化によるものだった(保元の乱の罪で源義朝が父・為義を死刑にした)。それによって平氏が力を持つに至ったわけだ。その後平氏は源氏によって滅ぼされ、その源氏によって作られた幕府という新しいシステムで本格的に武士の時代が始まる。天皇に代わって武士が権力を持ったのは鎌倉幕府の成立から徳川幕府が終わるまでの683年間に及ぶ。権力史から見れば日本は武士の国であった時代が圧倒的に長かったことがわかる。
武士道と死とは切り離せない。自刃は美学にさえなっている。日本人の死生観に武士の時代の考え方が大きく影響していることは確かだろう。

東日本大震災と原発事故が日本人の精神にもたらした変化と、顕在化させた深層心理というものを読み解くためにも、日本人が「生きること」と「死ぬこと」の意味どのように考えてきたかを個人個人が検証するべきなのだ(メディアの情報を鵜呑みにするのではなくて)。たぶん西行や芭蕉、平家物語や古今和歌集から読み取るのはそういったことだと思うし、私の大阪フィールドワークも京都彷徨もそこへと収斂していくはずなのだ。

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