写植文字の可能性を徹底的に追求したのが杉浦康平氏。杉浦氏は「文字に何が可能なのか」をほとんどやり尽くしてしまったと言っても大げさではない気がする。杉浦氏を筆頭に、その後に続くエディトリアルデザインの精鋭たち(戸田ツトム、羽良多平吉、鈴木一誌、松田行正……)によって70年代から90年代初頭にかけて生み出された、実験的で斬新な文字組の数々が、実際の書籍や雑誌となって巷にあふれるようになり、文字組そのものがデザインの領域であることが理解されるようになっていった。同時に活字ではありえなかった「読みにくい文字組」というものも増えていったのだ。だがその読みにくさとは活字が育んだ「読みやすさ」を否定するものではなくて、新しい「読みやすさ」を求めた結果と言い換えることもできそうだ。あるいは「読む」ことの多様な意味、重層的な意味が意識され、表現されるようになったということなのかもしれない。読むことに劣らず「見る文字」の重要性が意識されるようになったのだ。
文字組もまたヴィジュアル表現のひとつであるということは、活字の時代にはほとんど意識されることはなかったが(北園克衛による実験的な活字組版もあったが詩集などの特殊な領域に限られていた)、美術の世界では19世紀後半から文字をヴィジュアルなものとして扱っていたのはよく知られているところだろう。『ダダ』から『構成主義』へ、そして『バウハウス』へと向かう系譜は、文字が単に書かれた意味を伝えるものではないことを示している。
活字が写植に替わっていったのはオフセット印刷との親和性、そして作業効率やコストなどが大きな要因だったのだが(というか、オフセット印刷が一般化されたことで一気に印刷物の大量制作とカラー化が容易になった。消費社会に合わせた印刷の始まりでもあった)、デザイナーにとってはそれ以上に文字がヴィジュアルなエレメントとして自由に扱えるようになったことの喜びのほうが遥かに大きかったはずだ。今現在、デジタルフォントが見せているさまざまなエフェクト処理の多くも、写植の時代にすでに試みられていた。【続く】

こういったエフェクトはデジタルフォントでは簡単なことだが、私は写植でもやっていた。写植機の電圧を上げることで、文字を撮影する(写植では「打つ」と言う)際の光量を一行ごとに増やし、現像時にも液温を調節し現像時間を伸ばすことで、これに近いことができた。いずれにしても鉛の活字では不可能なことだった。