電子書籍時代のブックデザイン 49―デザイナーは文字へのこだわりを放棄しちゃいけないよ
ほとんど《PDF HD》の広報サイトのような記事ばかりを書いているが、それもこれもこのアプリが唯一「個人の表現を支援している」ように思えるからだ。
iPadが日本国内で発売されてから2ヵ月余り、その間ずっと電子ブック(書籍というよりこのほうがしっくりくる)とは何か、電子ブックの可能性とはどんなものかを考え続けてきた。さまざまなフォーマットが開発され、それらにインタラクティブな機能が盛り込まれ、電子ブックは「本」とはかけ離れた様相を見せてきている。その一方で個人個人は自由な電子ブックを模索し、自分で本を裁断して電子ブック化する「自炊」なる言葉まで生まれ、それを事業とする会社まで現れた。
動的な機能が盛り込まれた電子ブックも、本をただスキャニングしただけの電子ブックであっても、それぞれにそれぞれのメリットがあって、そういったフレキシビリティこそが電子ブックの特質だろうと思われる。電子ブックの広がりは、もはや「本」が特定の「業界」だけに独占できる商品でも、事業でもなくなっていることを示している。
私は市井のグラフィックデザイナーであり、本が好きだからブックデザインを専門としてやってきた。私にとって電子ブックはその好きな世界を拡張するものであり、従来の出版のシステムから離れて、自由に、好きなように本作りができる、理想に近い世界だと感じている。
しかし、そこには紙の手触りもインクの匂いもない。それは本にとっては大きな欠落である。これらのリアリティは電子ブックで再現することは不可能だ。肉体感覚を刺激するこれらのエレメントはノスタルジーなどではなく、「読む」行為と深く結びついて「本という存在」支えている、重要な機能でもあるのだ。
だがそういった大きな欠落があるにしても、電子ブックには「自由な表現」と「自由な出版」への道が開かれている。その魅力は本としての欠落を補って余り有る、と私は考えている。
だからこそデザイナーたちが「〜でなければならない」などと電子ブックを規定してはならないと思う。そういった動きに組してはならないと思う。どんなフォーマットであっても、もり立てていくべきなのだ。デザイナーたちが電子ブックを「〜でなければならない」なんて思ってしまえば、それは今までの出版を取り巻くヒエラルキへまたもや隷属してしまうことになるだろう。「業界」などというものは、そうやって周辺を取り込んでいくことで自分たちの権益を守り続けてきたのだ。周辺は自由であるべきだ。
話を戻そう。
ブックデザイナーにとって「文字」はもっとも重要なデザイン・エレメントである。文字がなければ本にはならないことは当然として、文字の表情がその本の内容を補間したり、広げたり、イメージを生むことに貢献している。であれば「書体」に何を選ぶかは本作りの生命線といっていい。「書体」は本に命を吹き込む、ひとつの要素だといっていい。
ユーザーフレンドリーな電子ブックを否定するわけではないが、「本は表現である」と考えれば無闇にデザイン(書体や文字の大きさ)が自由に変更されてしまう電子ブックは、デザイナーにとっては不本意なものになってしまうだろう。
デザイナーが表現者かどうかはひとまず置くとしても、少なくとも個人出版を目指すなら、デザイナーの、表現者としての電子ブックというのがあってもいい。紙とインクで培った文字へのこだわりを、電子ブックでもしっかりと生かしたものにするべきだ。
モリサワの秀英明朝Lを使用して組まれた電子ブックの本文。ブックデザイナーなら秀英明朝体への思いは一方ならぬものがあるだろう。9月にはその秀英明朝体のファミリーが発売される。DTPがスタートして20年、これを待ち続けていたわけだが、それが電子ブックの世界が本格的始まった年と重なったというのも、意義深い。
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