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2011年9月14日 (水)

電子書籍は、すでに古い。(その1)

デジタルな情報は素早く、できるだけ簡単に手に入れたい。企業HPなどでトッブにダラダラとイメージムービーなど流しているものもあるが、そんなの邪魔なだけで、さっさとスキップしてしまうのは私だけじゃないと思う。

電子書籍が今後どんな展開を見せるのか、あるいは停滞したままなのかわからないが、ブックデザインを生業としてきたものの一人として感じるのは、電子書籍は本というよりデジタル情報メディアの一つのかたち、それもどうにも古くさい形式のように感じられる。1990年代の初期のApple Macintoshに標準装備されていたハイパーテキスト、マルチメディアオーサリングツールの『ハイパーカード』で作ることのできた『スタック』の能力と機能とさして違わない。私は1990年にはこれで実験的な電子書籍を実際に作っていたから、そんな印象が特に強い。

そのときの感触もそうだったが、デジタルメディアには装飾的なイメージは不要、あるいは邪魔な気がする。できるだけ内容に早くアクセスできることの方が重要で、無駄なイメージは排除し、合理的でシンプルで直感的なインターフェースさえあればいいと感じる。デザインが必要だとすればその部分のみ。操作感覚が自然なインターフェースデザインだけがあればいい。いわゆる装飾(たとえ内容と関連するものであったとしても)としてのカバーデザインは必要ない。何故なら、デジタル情報(あるいは情報のイメージでもいいが)が求める速度は、グラフィック(映像、画像)が脳が喚起するイメージよりももっと速いからだ。
今後より画期的な、今までの本とは違う「電子書籍の装丁」が生まれる可能性が無いとは言えないが、私にはまだ見えてこない。

フォントメーカーの「モリサワ」が過去の、活字時代の書体を精力的にデジタル用に復刻している。「活字好き」「フォントジャンキー」としては嬉しいかぎりだが、しかしそういった書体は紙との深い親和性(インクのノリ、滲み方、濃度の強弱……)の中で育まれたデザインであり、紙に印刷されてこそ生きると、頭の古いデザイナーとしては思う。もちろん最新のデジタル技術でその「味わい」を再現できる可能性もあろうが、しかしそんなことに意味があるのかどうか……。

電子書籍以前にDTP(デスクトップ・パブリッシング)そのものの可能性がまだ追求されていないことのほうが問題だ。DTPはデジタルとアナログを自在に往来できる、その技術そのものが豊かなインターフェースである。この20年来、DTPはコスト削減と処理の速さのみを追求してきたが、本来の意味である「デスクトップ・パブリッシング=机上出版」の取り組みはおざなりのまま。電子書籍はその「デスクトップ・パブリッシング=机上出版」の可能性を開くものだが、電子書籍の技術はDTPの一部でしかない(Webの亜種として捉えることもできなくはないが)ことを思えば、「電子書籍を作る技術」などというものにこだわっているのは、ほとんど意味がない。
今後、デジタルデータへの関わり方が加速度的にクラウド化して行けば、クローズドでスタンドアローンにパッケージングされた「電子書籍の体裁」は、デジタル情報メディアとしては古くさい。

クラウド化されたデータベースにアクセスし(ダウンロードの必要もないだろう)、エレメントとしての電子書籍(「本化」されていないデータそのもの。バラバラの画像とテキストデータ)を各自が好みのソフトウェアで「本として再現する」。そういったものの方が電子書籍には似合う。本としての機能を高度化させたいのならwebでいいし、その方が低コストで済む。「書籍」としてパッケージングすることは読者にとっては何の価値もない。ただ出版社がそうやって従来のシステムと権益を守りたいがためにしかみえない。

モノとして存在させることができない、モノとしての価値のない電子書籍をどんなに作り込んだところで、それに見合う資金を回収することはできないとなれば、なおさらそういった方向にしか電子書籍の可能性はない。

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